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    高屋奈月『星は歌う』感想。ネタバレは追記に。







    もしマンガ論を書くなら、教科書にしたいほどの緻密に完成され尽くされた作品。
    それを可能にする作者の力量と才能と自己を律する強さ。

    素晴らしいです。感謝して。









    欠落と不信と絶望という地獄を、登場人物みんなが生きている。
    その中で、救いを得られるか。
    有るとしたら、それはどんな光で輝くのか。
    全ての関係が響き合い、成長しながらその光を目指して物語が語られる。

    そして、決意した者にのみ、救いがある。
    そんな厳しくて、哀しくて、辛いけれど、優しい世界を、作者は語ってくれる。
    決意した者にのみ『星は歌う』のだ。

    そして、作中、一人悲しみに終わるサクラにも、その歌は歌われているはずだ。
    相手の幸せを願うこと、その苦しみを受け入れてそれでも、相手を思いやること。それを決意する事。
    自分の周りにそんな人たちが居ることに導かれて。
    かつてみんなが辿った成長をサクラも辿る事を自身で決意する。

    そこにはほんの微かな、けれど途方もなく大きい、幻想じみた星の歌が聞こえているはずだ。




    □□□□

    高屋奈月のもう一つの代表作『フルーツバスケット』を再読。
    こちらもすばらしい。
    絶望に対する純粋さや無垢、という世界についての基本的な匂いは同じ。
    それは作者の創作の根本なのだろう。
    けれどこの二作には圧倒的な違いがある。

    『フルバ』では絶望の根本である干支はアプリオリに(先天的、生得的、生まれつきに)与えられている。
    そして最も胸に迫るのは、その根源の干支が一斉に消えてしまう時が訪れるところだ。
    本人には何の理由も無く押し付けられたものが、やはり何の理由も無く浄化される。

    だが、『星は歌う』では自分の意志で、大切な人を思い遣り、引き換えに我が身に悲しみを引き受ける。

    その違いは、とても大きい。
    もちろんどちらが優れてどちらが正しいとか言う問題ではなく。
    比較する事で、『星は歌う』で作者が伝えたかった事がより明確になった。

    やはり、良い作品。
    巡り会えて良かった。
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